
昨日、鹿児島県薩摩川内市で行われた
日本こどもフィットネス協会主催の全国こどもチャレンジカップ鹿児島県大会に
大会のリードインストラクターとして行って参りました。
ーー目次ーー
- 全国こどもチャレンジカップとは
- 私のチャレンジカップストーリー
- 鹿児島の四元先生、福岡の山村先生、東京のみどり先生の思い
- 14年間変わらない、会場・先生方・空気
- 愛佳ちゃんから愛佳先生へ
- こだわりのリードは変わらない全力スタイル
- 要の大会スタッフはチャレンジカップOG
- サプライズに感謝の思いでいっぱいです
- 次世代の選手に伝えたいこと
- 最後に
目次
全国こどもチャレンジカップとは

全国こどもチャレンジカップは今日本で1番盛り上がっている、こども(2~17歳)のためのエアロビクス・ヒップホップダンスの大会です。全国16か所で地区大会が開催され、勝ち抜いた選手が年に1度(以前は2年に一度)の全国大会を目指します。
個人戦と団体戦があり、選手はエアロビクス・ヒップホップやその他チアなど様々なジャンルの踊りを行うので層が厚く、参加選手もエアロビクスの大会としては日本で一番多いです。
チャレンジカップの名前の通り、選手は様々なジャンルの踊りに挑戦して行く課程で
筋力・筋持久力・器用な体の動かし方や・多様な表現方法を経験として学び、それが評価されていく中で成長していきます。
個人戦ではエアロビクスとヒップホップの二種類を踊り、その総合的な評価で順位が決まります。
この鹿児島県大会にも約200名の選手が出場していました。
私のチャレンジカップストーリー

私は協会公認インストラクターとして大会のリードインストラクターの仕事を関東圏で経験させて頂いておりました。しかし今回の地元九州の鹿児島でのリードは多くの方々の優しさと温かい思いによって実現したものでした。
チャレンジカップとの出会いは13年前

(一番左:9歳の鳥巣愛佳 この時から行儀が悪かった)
エアロビクスとダンスに出会ったのは8歳。ただ踊ることが楽しくて仕方のなかった私は、正直エアロビでもダンスでもとにかく踊れれば良かったんです(笑)
楽しむ気持ちを大切にしてくださる恩師の山村映子先生のご指導のもと、どんどん踊ることが大好きになっていきました。
そんな中で9歳の私が出会ったのが第1回目の鹿児島県大会(南九州大会)でした。先生も始めてで大会や協会のことをよく存じておられず、とりあえず福岡から鹿児島までチームの数人で車で来て、楽しんで出場してみた大会でした。
そこで私は個人戦でいきなりの総合優勝獲得。小3のアホな元気娘が大きいお姉さん方を抑えて賞をもらってしまいました。
表彰の最後に発表される総合優勝という賞の存在すら知らなくて、賞が取れなかったんだと思い既に悔し泣きしていた私がどんでん返し。
第1回目ということで大会のレベルも今ほど高くないですが恩師曰く、私の技術も散々なもので(結構黒歴史なんです 笑)ただただ超元気に楽しく踊っていたことを評価されての優勝だったそうです。
悔し涙が歓喜の涙に変わりました。
ここから私のチャレンジカップストーリーが始まりました。
地区大会では9回の総合優勝も全国大会では結果出ず
その後もほぼ毎年チャレンジカップに出場し、九州では鹿児島県に加え福岡県大会も開催されるようになり、たびたび総合優勝目指して練習していました。
超負けず嫌いで絶対誰にも譲りたくなかったんです(笑)
計9回地区大会で総合優勝を頂きましたが、2年に一度東京で行われる全国大会では悔しい思いばかりしていました。
予選落ち・予選通過も入賞ならず・3位入賞(地区大会でのライバルに負けて大号泣)
悔しい気持ちも負ける悲しみも味わいました。
念願の全国大会総合優勝

これでチャレンジカップを引退すると決めて挑んだ高校2年生の全国大会、最後に本気で全国大会で総合優勝を採りたいと思いめちゃめちゃ練習しました。
私は競合チームで練習しているわけでもないため、同世代で一緒に頑張る仲間もおらず、1人で黙々と練習していました。
全国大会で総合優勝採るために、エアロビもヒップホップもトップレベルであることが必要だと思ったので両方を極めるつもりで研究・練習あるのみ。
勉強も忙しかったので寝不足でフラフラの身体に鞭うって走り込み、踊りこみ、筋トレしていました。むしろやらないと罪悪感にさいなまれるくらい(笑)
そしてついに念願の全国大会総合優勝を受賞。
地区大会入れた総選手数約2000人の頂点に立ち、長い年月をかけて全国大会の総合優勝に拘ってきた努力が実り、最高の喜びを経験しました。
引退後進学のため上京し競技選手兼インストラクターに

チャレンジカップを引退してからも競技エアロビックも更に上を目指して練習し、ダンスも趣味でやっていました。
進学のため上京してからも大学2年生で日本こどもフィットネス協会の資格を取りインストラクターとして活動させて頂きました。
協会代表のわたなべみどり先生のご指導のもと選手権インストラクターの生活をしていました。チャレンジカップのリードも担当させて頂き、自分を育ててもらったチャレンジカップでこうしてお仕事させて頂くことがとても嬉しかったです。
最初は関東圏でのお仕事には全国大会優勝者いえどアウェイな感じがしていましたが、今では知っている選手も関わる先生方も多く、チャレンジカップで地元やその他の地域とも繋がっていられるのが幸せでした。
毎回のリードもその他のお仕事も、私の経験から熱い思いを持って、次世代の選手に全力で向き合ってきました。
鹿児島の四元先生、福岡の山村先生、東京のみどり先生の思い

そんな私に地元の先生方から「地元であり原点の鹿児島県大会でリードをしてほしい」という思いが届きました。
今でも私がこうしてチャレンジカップで頑張っている姿を、私を目指してくれていた九州の選手や応援してくれている先生方に見てもらえる。自分を育ててくれた原点で、恩返しが出来る。はじめにこのことを聞いたときは涙が出るほど嬉しかったです。
私は来年から社会人なので、フィットネスでのお仕事は復帰未定です。チャレンジカップそして自分のエアロビクス人生の一旦の締めくくりにこのようなチャンスを頂き、
成長した姿で帰りたいという思いが半端じゃないエネルギーを生んでくれていました。
だから試合にも出ましたし、トレーニングも続けていたんです。
人として、指導者として、元選手として、少しでも成長した姿で昨日を迎えたかったんです。
14年間変わらない、会場・先生方・空気

小学3年生に初めて川内アリーナに来て14年が経ちました。上京してからは来ていなかったので4年ぶり。川内駅の静けさな感じも街並みも、会場の雰囲気も変わっておらず、選手の時に戻ったようでした。
そしてどんな時も傍にいてくださった恩師と話を下さった四元先生、変わらない九州各地の先生方の存在、いつも本当に温かいです…
愛佳ちゃんから愛佳先生へ

愛佳ちゃん愛佳ちゃんと言われていた私も、いつの間にか「愛佳先生(笑)」と呼ばれるようになりました。(笑)がついているのには「愛佳先生」と呼ばれる度に笑っていた人が多数いるからです(私先生なんですよ!一応!笑)
それはさておき、変わりたい成長したいと私はいつも思っていますが、ここに戻ってくると多分変わらないんでしょうね~今後も良い意味で変わらない「愛佳ちゃん」でいたいなと思いました。
こだわりのリードは変わらない全力スタイル

(写真は昨年の全国大会でのゲスト出演の際)
選手の私にとってリードは自分のテンションに大きく関わるものでしたので、自分もそれなりの責任を持って臨んでいます。
リードはただ動きを示すだけでなく、キューの出し方、動きの導入、体力、声のかけ方などかなりの技量が必要です。私はベテランの先生方のようにレッスンを何十本をやっているわけではないので、どう頑張っても経験が乏しいんです。
ですが大会、そして選手への思いは誰よりも熱いと思っています。
だからこそ選手に負けないくらい元気に動いて、選手と共に頑張る時間を共有して、選手が全力を出し切れる言葉をかけていきたいと思っています。
大会が終わるといつも歩けなくなるくらいハードに動いてみせるので、いつも抑えようと思うんですがこれが私のやり方です。とても不器用なんですけどね…(笑)
要の大会スタッフはチャレンジカップOG
14年間大会が続いてきた証として、私だけじゃなくて引退した選手がこうしてスタッフとして大会に関わってくれているんです。本当に素晴らしいことだと思います。
中には私に直接連絡をくれて、チャレンジカップでお仕事がしたいと言ってくれたメンバーもいます。みんなこの大会が大好きで、後輩達を支える立場に喜びを感じています。決して楽な仕事でもないんですが、選手にとってもスタッフにとっても温かくて気持ちの入った空間なんです。

一緒に戦っていた仲間がこうして一緒に後輩達の大会を創り上げていく立場になっています。みんな本当にありがとう。私もとても嬉しかった~
サプライズに感謝の思いでいっぱいです

なんと鳥巣愛佳ですね、この度ベストチャレンジャー賞という協会初の賞にノミネートされておりまして、

パンフレットにも載せて頂いておりました♡
その発表と経緯を最後の花道としてなんと大会で場を設けてサプライズして頂きました。

恩師と並んでのご報告でした。少し話は聞いていましたが大会の運営側であるにも関わらず花束まで頂いて、本当に恐縮かつ感激でした。
原点から東京に羽ばたき、最後に戻ってリードをさせて頂いたことへの感謝の言葉をしどろもどろながらも語らせて頂きました。
わたしがここで活躍していたのはもう4年以上前のことなので私のことを知らない選手も多くいるでしょう。しかし22年の人生の3分の2をチャレンジカップに捧げてきた私は、今後この歴史を繋いでいくための1つのロールモデルとなれれば良いなと思っています。
それを形として残して下さった、会長のみどり先生はじめ協力して下さった今井先生、九州の先生方に心から感謝申し上げます。
「みんな愛佳ちゃんみたいになりたかったんだからね」
ディレクターの四元先生がおっしゃって下さったこの言葉は一生私の励みになるでしょう。そして昨日区切りをつけたのここでの思い出が、私が今後どんな道に行ったとしても絶大なるエネルギーになると信じています。
次世代の選手に伝えたいこと

もうこんなことを伝えて行く機会も減ってしまうので、まとめさせて頂きたいと思います。
①目標は叶う!
予選通過したい、メダル獲りたい、優勝したい…みんなのその目標は信じて努力をしていれば叶います。まずは目標を口に出しましょう。紙に書きましょう。
そしてそのために何が必要なのか、自分に何が足りていないのか考えるんです。わからないなら先生や先輩、親にも聞きます。そしてそれを克服するために努力しまくりましょう。結果が出るのに個人差もありますが、自分の納得のいくまでやり切ることが大切です。もう一度言います。目標は叶います!
②謙虚な気持ちを忘れずに、支えてくれる人たちのために頑張ること

(写真と内容は関係ございません)
とはいっても辛い時はあります。そんなときは自分が大会のステージに立つためにどれだけの人が応援してくれているのか思い返して下さい。
家族、先生だけではありません。大会を運営している先生方、スタッフ…この大会に関わる人たちすべてが選手のことを応援しています。もちろん私もこのブログを読んでくれている全国どこかの選手のことを応援しています。
私はこのことに気づくまでに時間がかかりました。自分のことしか考えられない独りよがりなダメな選手でした。ですがチャレンジカップでこの気持ちも学びました。
自分のためだけでなく誰かに感動を与えるために、応援してくれる人たちに恩返しできるように頑張ってください。
③憧れは超えるためにある
昨日は多くの方に「憧れでした」というキラキラした言葉をもらいました。こんなアホな私には身に余る言葉ですが、言わせて下さい。
「憧れるな!超えていけ!」と。
憧れは憧れだと思った時点で超えられないんです。世の中には私なんかよりも凄い人は山ほどいます。私なんぞ余裕で超えられます。
私も勿論憧れはいますが、いつも超えたいと思っています。時間はかかるだろうけどいつか絶対超えたいです。
※ちなみに私は安室ちゃんにめちゃめちゃ憧れています(笑)
④踊りが大好きな気持ちを忘れない

(我が地元の後輩チーム。鹿児島まで来てくれてありがとう!)
「好きこそものの上手なれ」
私はこの言葉は確信をついていると思います。私はエアロビもダンスも大好きだと胸を張って言えます。来世でも踊っていると思うくらい大好きです。
だから頑張れるんです。好きだから辛いことも乗り越えられるんです。もっと言うなら好きだからこそその気持ちで負けたくないんです。大好きな気持ちを思いっきりぶつけましょう。
踊りというのは気持ちを持った人間が全身で表現しているんです。そんな思いをもった人の踊りには必ず、人の心を動かすものがあります。そのエネルギーは時空を超えて色んな人やものにインスパイアを与えるものだと思っています。
選手はもちろんチャレンジカップを卒業したOGOBもこの気持ちを忘れないでほしいです。
最後に

「14年間ありがとうございました。」
もうこの気持ちしかありません。昨日が来るまでには色んな気持ちの葛藤がありました、涙もたくさん流しました。
1人の選手として指導者として人として育ててもらった私はこの場所から始まり、この場所でチャレンジカップストーリーの最終章を迎えました。
しかし昨日は涙は出ませんでした。運営の立場であるとこに責任もありましたし、思いはリードに込めていましたので…
きっと今後の人生の中でこの14年が一層輝きを増してくるのではないかと思っています。でもあの頃よりも今が輝いてるよ!って思いたいです。永遠に(笑)
14年間選手として、指導者としてチャレンジカップを通して関わって下さった方々、応援して下さった方々、本当にありがとうござました。
チャレンジカップで今後もたくさんの笑顔が増えていきますよう願っています。
そして今後とも鳥巣愛佳を宜しくお願いいたします!
2015,11,29
日本こどもフィットネス協会公認インストラクター
鳥巣愛佳